マカロンみたいに角の丸い軽自動車の助手席で、佐倉川利玖はスマートフォンを取り出した。メッセージが届いた時には振動する設定にしてある。それが、さっき震えた気がしたからだ。
片手で画面を操作すると、熊野史岐からメッセージが届いていた。写真も一緒に送られているようだが、文面を見る限り、急を要するものではない。
その判断をして、すぐにポケットに戻したのだが、液晶のバック・ライトで気づいたのだろう。
「電話?」
と隣でステアリングを握っている阿智茉莉花が訊いてきた。
ぽつねんと一般道を走っているだけなのだが、今の彼女からは、およそ余裕というものが感じられない。
「いえ」利玖はわざと素っ気なく答えた。「別に、他愛ないメッセージですよ」
「他愛ないなんて、わざわざ言われたら、気になるわね」
「え、そうですか。困ったな」
「熊野先輩から?」
「まあ……」
「聞かせて、聞かせて」茉莉花が体を弾ませる。
「運転の邪魔になると思います」
「まあ」茉莉花は前を向いたまま目を丸くし、ぐっとステアリングを握りしめた。「良いわ。じゃあ、もう少し行った所にコンビニがあるから、そこでじっくり聞かせてもらおうじゃないの」
宣言した通り、茉莉花はそこから交差点を二つパスした所で車をターンさせてコンビニエンスストアに入った。
いかにも郊外の店舗然とした立地で、建物の方がおまけに思えるくらい駐車場が広い。左右どちらも空いている区画を見つける事は容易だったが、そんな場所でも、茉莉花はミラーを睨むようにして慎重に車をバックさせた。その真剣さといったら、見ている利玖の方が息を殺して見守ってしまうほどだった。
エンジンを止め、二人は車から下りる。
「ふうぅ……」茉莉花は大型溶鉱炉のようなため息をついて車の正面に回った。少し姿勢を低くして、タイヤの辺りをじっと見る。「いやあ、難しいな」
「そうですか? まっすぐ入っているように見えますが」
「角度は、まあまあかな」茉莉花は厳めしい顔つきで、頷いた。「だけど、駐車する度にこんなに神経を尖らせていたんじゃ、そのうち乗るのも嫌になっちゃうわ。もっと華麗に、ずばっと、一発で決めたい所よね」
「茉莉花なら出来るようになりますよ」利玖は片手で拳を作って掲げる。「実践あるのみです。練習なら、いくらでも付き合います」
「ありがと」茉莉花は微笑んだ。「一人だと、どうにも寂しいのよね。何回か試してみたけれど」
先月と先々月、つまり、大学が春休みの間に、茉莉花は教習所に通って運転免許を取得していた。車を持っている事が、特に薙野県内では、就職活動をする上で有利に働くのだと両親を説得して、中古のものをお金を借りて買ったらしい。大学を卒業して働き始めたら、少しずつ返す約束なのだと利玖に話した。
利玖は今日、元々、一人で出かけるつもりで予定を組んでいた。しかし、行き先が大学からかなり離れている事を知った茉莉花が、それなら自分が車を出そうと言ってくれたのだ。
兄・佐倉川匠には頼みにくい事情があり、また、熊野史岐に叶えてもらうのはそもそも不可能な状況だった為、これには大いに助けられた。雪は大方溶けたとはいえ、目の前でバスが停まってくれるような場所ではなく、かといってタクシーなど使ったらいくら掛かるかわからない。当初は自転車で行くつもりだった。不可能ではないが、それなりの準備と覚悟が必要だな、と考えて、若干のプレッシャを感じ始めていた所だったのだ。
茉莉花には、出かける目的はキャンプだと伝えている。嘘ではないが、その一言に集約出来るほど、経緯は単純ではない。
二人はコンビニエンスストアで飲みものを買い、車に戻ってきた。
「それで?」茉莉花が早速、運転席から身を乗り出して訊いてくる。「熊野先輩は、何て?」
利玖はスマートフォンを操作して、送られてきた写真を見せた。
「ひゃあ」茉莉花は口を押さえる。「ちょっと、どういう事? 女の子じゃない」目を細めて、さらにディスプレイに顔を近づける。「というか、この子、潟大生じゃない? 構内で見た事ある気がする」
「そうなんですか?」利玖はディスプレイを自分の方に向ける。美蕗と似ている、という最初の印象が強くて気づかなかった。
「この子、誰?」茉莉花が訊く。
「誰なんでしょう」
「ひぇえ」
「それより、この野菜は何でしょうか」
「嘘でしょう?」
「訊かれているんですよ。茉莉花も見てくれませんか?」
茉莉花は「いぃ……」と呻きながら写真に目を戻す。しかし、すぐにけろりとした表情になって「あら」と呟いた。
「これ、花豆じゃない?」
「花豆?」
「そう、えっと、本州ではほとんど生産していないのよね。主な産地は、確か北海道だったと思う」
「へえ……、よくわかりましたね」
「ちょっと前にテレビで、特集をやっていたの。この模様が特徴的よね」
「なるほど」利玖はテレビを見ない。全面的に茉莉花の発言を信用する。「花豆ですか。美しい響きの言葉ですね」
利玖はリプラィのテキストボックスを立ち上げた。
〉花豆だそうです
とだけ書き込み、スマートフォンを仕舞おうとする。
それを茉莉花が「ちょいちょい」と手を伸ばして遮った。
「それだけ?」
「あまり、食事の時間を邪魔しても……」
「え、熊野先輩、その子と一緒に北海道でごはんを食べているの?」
「そんなに遠くには行っていませんよ」
だんだん、混乱させているのが申し訳なく思えてきて、利玖はココアのペットボトルに口をつけながら「あの……」と上目遣いに茉莉花を見た。
「ごめんなさい。ちゃんと話します。本当は、キャンプする事が目的じゃないんです」