利玖が駆けつけた時、ライブ会場はすでに無人になっていた。
 中に入って確かめるまでもない。外からでも、講義室の窓から残らず明かりが消えて、人が出入りしている様子がない事がわかった。
 スイッチを切り替えたみたいに、味気ない共用施設としての外観に戻った講義棟を、利玖は呆然と見上げた。
 やがて、利玖は少しずつあとずさり始めた。そうすれば、まだどこかに明かりのある区画を見つけられるかもしれない、とでもいう風に。
 いくらも後退しないうちに、腰が硬い物にぶつかる。
 さらに後方の、二メートルほど下の地面に作られた駐輪場に降りる階段の手すりだった。ひどく錆び付いているので、これを掴んで昇降する学生はほとんどいない。
 ぶつかって、そこで止まったまま、しばらく利玖はぼうっとしていたが、やがて、今着ている服が遥の物である事を思い出すと、ふらりと体を起こして歩き始めた。

 どこに向かっているのか、初めは自分でもわからなかった。
 前方に高いグリーンのネットが見えてきて、どうやら野球場に行こうとしているらしい、と推測する。
 利用者の多い施設が集まっている区画を避けて作られた野球場は、ナイタでもやっていない限り、夜はほぼ完全な暗闇だ。下手に場内を荒らすと筋骨きんこつ隆々りゅうりゅうの野球部員を敵に回す事になるので、素行の悪い輩が無断で入り込んで使うような事もない。たまに天文部が望遠鏡を持ち出して、慎ましく天体観測をしているくらいだ。
 あそこで、隅の方にうずくまってじっとしていたら、夜明けが来たって誰にも見つからないだろう。
 何しろ自分は小さいのだから。

 良縁にめぐり会うまじないをかけてくれた、優しい潮蕊の夫婦神。
 夜道を一人で戻るのを最後まで心配してくれた、遥と汐子。
 もし間に合わなくても、ライブに行きたいと思ってくれただけで十分だと、笑っていた史岐。

 今日一日を思い返せば、自分を気遣い、親切にしてくれた人達の顔ばかり頭に浮かぶ。
 それだけに、宇宙のあなに繋がってしまったようにぽっかりとして、安堵も哀しみも定かにわからない虚ろな心を持て余す、今の自分がみじめだった。

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