しばらくして、駅前のロータリーに一台のバンが滑り込んできた。
 月を思わせるひよこ色の塗装が施され、側面には雅やかな書体で〈湯元もちづき〉と書かれている。
 その時、仕事内容の確認も終えてしまった一行は、手持ち無沙汰にベンチの上に鉄道雑誌を広げて、この辺りのローカル線の歴史について坂城清史から簡単なレクチャを受けている所だった。
 目の前にバンが止まったかと思うと、勢いよく助手席のドアが開き、平梓葉が飛び出してきた。
「ごめんなさい! お待たせしてしまって……」
 梓葉は、取引先の重役をほったらかしにしていたのを忘れていたかのような狼狽ぶりで、利玖達は慌てて首を振った。電車が駅に着く前に、道中で事故渋滞にはまってしまって到着が遅れそうだという旨の連絡をもらっていたし、待たされたといっても、せいぜい十五分程度である。
 後部座席のドアを開けてもらって、年齢順にバンに乗り込んだ。同い年の利玖と充は、充の方が気を利かせて、利玖が両隣を異性に挟まれないよう、先に乗り込んでくれた。
 最後に梓葉も助手席に戻って、ドアが閉まると、運転席にいた若い男が振り向いた。黒髪を短く刈り込んだ、精悍な顔つきの青年である。
 彼は深々と頭を下げて、迎えが遅れた事を詫びると、続けて、
はやふねかくと申します。二日間、よろしくお願いします」
と名乗った。
 自分達とほとんど年格好の変わらない鶴真にかしこまった挨拶をされて、どう応じていいか、計りかねている利玖達を見ると、梓葉は肘で鶴真を小突いた。
「ちゃんとお伝えして」
 鶴真は瞬きをしていたが、やがて、きまりが悪そうに咳払いをして、居ずまいを正した。
「一応、〈湯元もちづき〉の支配人、という事になっています」
「はっきりしないんだから、もう……」
 梓葉は不満げに息をもらし、利玖達に向かって苦笑した。
「この通り、支配人といってもまだ若輩者ですから、先代と一緒に旅館を盛り立ててきた料理長から色々と教わっている所なの。その辺りは、あとで順を追ってご説明させてくださいね。
 まずは宿に着いて、旅の疲れを癒していだたくのが最優先。ウェルカム・ドリンクもご用意していますわ」
 聞き慣れない単語に、利玖と清史はどう反応していいかわからない。
 曖昧に頷きつつ、ゆっくりと充に視線を流すと、充は口の中でぼそぼそと喋った。
「ホテルや結婚式で、会場に着いた客に一息ついてもらうために振る舞う飲み物の事。だいたいノンアルコールが多い」
 理解した利玖と清史は、笑顔になって梓葉に礼を述べる。
 充がいて助かった。たぶん、本を一冊書こうと思ったら、そういう色々な知識が必要になるのだろう。

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