目が覚めた時、黄色い花のパターンが織り込まれたタオルケットに投げ出された片手が顔の前にあって、佐倉川さくらがわ利玖りくはしばらくそれを見ていた。指は、お椀を包むように軽く開いて、真っ白い峻烈な陽射しを受け止めている。
 どうやら朝になったようだ。
 誰の手なのだろう。
 触っても良いかもしれない。
 確かめてみようか、と思った時、自分の意思に沿った動きをしたのはまさにその手だった。
 自分の体だったか……、と思い出す。
 意識が途切れる寸前まで読書に没頭して、眠りに落ちると、時々こんな風になる。手も足も、認識は出来るのだが、どこか借りもののような、他人の体の一部を眺めているような気持ちになるのだ。自分の意識が確かに宿っているのは、頭と、背骨の中心だけというような気がする。
 起き上がった後も、その乖離感はしばらく残り、彼女の脳は視覚を介して入ってくる様々な情報の処理を受け付けなかった。しかし、別に、受け入れ難い光景が広がっている訳ではない。褪せたローズ・ピンクのカーペット、古びた勉強机、壁に取りつけられたフック。どこにでもあるような子どもの部屋だ。
 しかし、勉強机には、ランドセルも教科書も鉛筆削りもなかったし、フックは例外なく宙を突いている。
 勉強机から少し横にずれた所では、カーペットがほぼ正方形にへこんでいる。大きさからすると、たぶん、クロゼットがあったのだろう。かつて、この部屋を使っていた人物は、勉強机は捨てたけれど、クロゼットは持って行った。そんな事を利玖は考える。
 もはや使われる事のない調度品だけが、手放された時の質感を保ったままゆっくりとすり減っていくような空気の中で、利玖が持ち込んだキャリーケースだけが新鮮な存在感を放っていた。
 ようやく起きる気になって、利玖は立ち上がり、服を着替えた。
 この部屋には鏡もない。クロゼットと一緒に運び出されたのだろう。
 勉強机の上に斜めに立てかけた手鏡を覗きながら髪をまとめ、チョーカーを着けた。留め具をうなじの所で合わせて、カチッという小さな音を聞いた時、ふいに全身の感覚が戻ってきて、留め具の金属の感触がくっきりと感じられた。
 どうしてそんな事がきっかけになったのかはわからない。でも、なんだか愉快だ。首にスイッチがあるなんて、SF映画のアンドロイドみたいではないか……。
 緩んだ顔を映している手鏡を見て、我に返る。
 利玖は、笑みを消した。そして、今度は自分の意志で、心の働きが鈍重になるようにコントロールしようとした。

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