2026年01月13日号

 今週の活動報告です。

 1/11京都12Rのナリタエスペランサに有馬記念2017のキタサンブラックの面影を見た。と思ったら本当にお父さんがキタサンブラックなんですね。”希望”という馬名も素敵だ。応援します。

読んだ

コロナにかかった
 ここで詳細を書くべきか悩んだのですが、今後何らかの後遺症が残った時に「発症した時はこうだったのか、ふむふむ」と参照出来る記録があった方が良いし、こんなもんかからない方が絶対良いので「かかってないけどリアルな体験談をきいて創作の参考にしたい」と考えている方がいらっしゃったらお役に立てるかもしれないと思ったので残しておきます。拾えそうな所があったら使ってやってください。n = 1 だけど、ちゃんと検査で陽性が出た患者の実体験です。

day0
19時前にごはんを食べる。いつものごはんに加え、分けてもらったコストコのワッフルをその場でぺろりするくらいには旺盛な食欲がある。しかしその後38.4℃の発熱。急遽おやすみシフトに切り替えるものの寒気がひどく、手が震えて歯磨きもままならない。パジャマの下にシャツを着て毛糸の靴下を履き、カイロを貼って着る毛布まで装備して布団に入ってもまだ足元が寒くて、湯たんぽを足の間に挟んでみたり膝下に置いてみたり、ちょもちょも転がして暖を取っていた。いつ眠ったかは覚えておらぬ。時計を見る余裕もなかった。
1時半に目が覚め、スポドリを飲む。ついでに熱を測る。40.0℃。フーンこれ以上の数値は表示出来ないんだろうな……、と全然絶望しなかった。その前、起きた時、意識が覚醒した時に「あ、今本当に1μmも創作の事を考えられない」とわかる感触があって、その方がよっぽど怖い、断崖絶壁から突き落とされるような絶望だったため。寒気がなくなって「暑いッ暑くてたまらないッなんでこんなに熱がこもってるんだッ(※上述の対策に加え40度の人体がまるごと一個数時間にわたって保管されていたため)」のターンに入っていた事もあり、創作意欲のメモリが熱で焼き切れちゃったんじゃないかと、50%くらい本気で恐怖した。
3時くらいにまた起きる。スポドリ飲んで熱測る。40.0℃。再び寝る。
6時くらいにまた起きる。スポドリ飲んで熱測る。40.0℃。この頃から頭痛、ふらつき、食欲低下が出てきてグラス一杯のスポドリ飲むのも若干「ウッ」てなった。平素から食い意地の権化であるので意地で飲んだ。1時に起きた時から、カイロを捨てたり着る毛布を脱いだり徐々にキャストオフしていたが、もうこの頃になると、自分が入っているだけで布団が熱くて熱くてたまらず、しばらくフローリングで横たわっていた。布団に戻って寝直す。
day1
熱測る。39.7℃。土曜の午前逃したら3連休でどこも時間外になるので急いで発熱外来を探して予約。休日だから仕方がないとはいえまだめっちゃ具合が悪いので待ち時間が辛い。朝ごはんは食べられなかったが空腹は感じない。インフルとコロナ両方の検査を依頼。喉の痛みと乾燥がずっとあったけど、喉の化膿には至っていないとの事。良かった。正直ここまできても(まあインフルかな……)と思っていた。別室で検査を受ける。綿棒でぐりぐりされるのは思ったより痛くない。刺激の強さと種類でいったら歯のクリーニングの方がはるかに苦手ですね。10分くらいで結果が出る。「コロナ陽性です」と言われてもぽかんとしてしまい、ただ(あっもうこれ以降は喋らんでおこう)と思ってボディーランゲージで会計まで済ませる。普段まったくテレビ及び映像のニュースを見ないので(「COVID-19」は「コビッドナインティーン」と発音するのか……)とここで初めて知る。家に帰る。食前の薬と食後の薬があるのでなんとか昼食は食べよう、と意気込む。ゼリーとラムレーズンのアイスを食べた。ついでにコーヒーも淹れた。あとはたまごっちのお世話以外ずっと布団の中にいた。寝たり、起きている時はKindleで漫画を読んだりしていた。咳は、一回出るとガトリングガンみたいに連発するが、それも3時間に1回くらいだし、安静にしているとほぼ出ないので、眠くなったらちゃんと寝られた。夕食はゼリーと飲むヨーグルト。カロリーが足りていないけどまだ「ウッ」ってなったので仕方がない。
day2
途中で起きずに良く眠れた。熱も38℃を下回る(これは前日夜から)。朝ごはんに雑穀米に塩を振ったものを食べる事が出来た。咳の頻度はやや上がる。体が毒素を排出しようと頑張っているな〜と思ったので、わたしも頑張って、咳が出そうな時は自然に途切れるまで咳をしたり、こまめに鼻をかんだりするよう心がけた。前日よりかなり体が軽く、頭も使える感じがする。その分眠くないので布団の中で漫画を読んだり、JRAのアプリで競馬を見たりしていた。動くとズキッと頭が痛い。瞬発力こそ最盛時のそれと変わらずとも持久力には明らかな衰えが感じられる。しかし咳の頻度が上がっているので「あ痛」と感じる時間はそんなに変わっていないかもしれない。なので咳をする時は横になって頭が動かない姿勢でした方が楽でした。
食欲の改善は右肩上がりではない。普段妖怪食い意地の権化お化けであるわたしがこうなのだから人並みの食生活を営んでいる方はどうなってしまうのだろう。inゼリーとゼリーを食べて薬を飲む。体温は平熱に戻った。精神的にもかなり落ち着き、職場にどう伝えたものか……、等と考える余裕が生まれる。
13時頃に36.6℃まで下がる。少し肌寒さを感じたのでキャストオフしたものを一個ずつ軽い順に戻して暖を取る。液体を飲む事に前日ほど抵抗を感じなくなっていたため温かい紅茶をたっぷり淹れてそれをこまめに飲むようにした。
15時頃、37.7℃まで上がり、17時頃に38.4℃になる。再び布団の中の熱さが気になり、キャストオフを検討する。ただday0と違って、この時点では猛烈な寒気はない。
寝るの思いっきり失敗する。たぶん日中全然動いていないせいだと思われる(前日は病院に行ったのでなんだかんだ疲れた)。熱くて少し脱いで寝ても熱くて目が覚めて、いやこれ以上軽装になるのは冬はまずい……、とタオルケット被って寝たらそれは寒い。なんやねん! 1時間に1回目が覚めた。それほど熱が高くなった感じはせず。少し腹痛が出てくる。夢を見た気がするが夢と現実の境がわからなくて怖かった。なんというか、フレームが上手くはまらないというか、夢の中でしているつもりの事を現実でやってしまっていてもすぐに気づけなさそうな、確かなものがない感じ。眠りが浅いと変な夢を見がちなので相乗効果でさらに苦しい。あまり水分を摂れなかった。反省。
day3
起床即検温、37.0℃。お腹の調子が悪い。しかしそれ以外は着実にエネルギーが戻ってきている手応えがある。咳もほぼ止み、喉の調子も良い。朝ごはんの量も通常に戻せた。
上述のとおり昼間まったく動かないと夜大変苦しむ事がわかったため、起きていられる間は書斎で好きな事をして過ごす。それに、せいぜい3日間程度だが、熱で苦しんだ記憶や寝付けなくて苦しんだ記憶、鼻詰まりが解消しなくて苦しんだ記憶がベッドとセットになっているため、そろそろ離れる時間を作らないと心が先に駄目になりそうだった。
day4
今ここ。36.2℃。元気。咳をしても頭が痛くない!

ふり返り
 ひと晩40℃台の高熱が続き、翌朝も39.7℃だった時には「さすがに何もしなかったら死ぬかも」と思いましたが、上述したとおり、夜中に1人で目が覚めて、もう創作が出来なくなるかもしれない、その可能性がある、という思いが頭をよぎった時の方が、はるかに恐怖が大きかったです。それはわたしがまだ、自分が死ぬという事態が1時間後にでも起きてもおかしくないものとして捉えられていない証拠でもあるし、自分が満足する創作が出来るかどうかは結局の所自分の頭がちゃんと動いてくれるかどうかにかかっていて、誰の手を借りてもそれはどうしようもない事だと思ったからです。
 40℃の体でトイレに行ったりフローリングに突っ伏したり、スポドリを飲んだりする間、体の不自由と闘いながら名作を世に残した芸術家の事を思いました。聴覚を失ったゴヤや、わたしの大好きな南総里見八犬伝を完成させた曲亭馬琴の事を思いました。
 高名な芸術家の中には、突然の不幸や時代の不運に見舞われて、そのエピソードと作品の組み合わせで語られる方も少なくありません。それは作品をより強く印象づけるためでもあるのだろうけれど、そんな境遇におかれてもなお、何かを生み出す事をやめなかった強いエネルギーを持っていたからこそ、時代を超えて愛される作品を生み出せたのではないか、と思いました。
 そのエネルギーは、周囲の人間の協力であったかもしれないし、権力による庇護であったかもしれないし、他に道がないという切迫感であったかもしれなくて、一概に創作意欲と言えるものではないと思うのですが、どんな事情があったにせよ、芸術家本人が筆をとって描き始めなければ、その作品は後世にまで残る事もなかったでしょう。
 わたし自身がコロナにかかって、異常だった事といえば、高熱とそれが続いた時間の長さくらいで、病院で薬をもらい、十分に休む事が出来、今は順調に回復していますが、今後何も後遺症が残らないという保証はありません。ほんの数年前に流行り始めたCOVID-19のすべてが解明出来ている訳なかろうもと思っているので、忘れた頃に「これあの時の後遺症か〜」という症状に苦しめられるかもしれないし、それによって以前のような気持ち、あるいはペースで創作活動をする事が出来なくなったり、それに気づいてものすごく悔しくなったりするかもしれません。
 だけど、かかってしまった以上、それは覚悟するしかないので、怖いけれど、あんまり心配しないようにしています。
 後遺症が残っても、残らなくても、前と同じコンディションで創作が出来なくなっても、とにかく筆をとって書こうとすれば、何かは生まれるはずで、そして何かを生み出す事が出来たら、インターネットの片隅にいるこんなにちっちゃい作者の作品でも、誰かを励ます事が出来るかもしれないので。
「すみません遅れます」と言っていた週報がしれっといつも通りに公開出来たのは、体調の回復とか「公開しなきゃ」という義務感というよりも、ベッドから動けない生活が指数関数的に心を蝕んできて、パソコンを触るなり本を読むなり、とにかく今までと同じ余暇の過ごし方をしないと精神がぐにゃんぐにゃんになってしまうと思ったからです。もちろんそれが出来るくらいには回復していたし、不調をおして起き上がっている訳ではないのでその点についてはご安心ください。
 利玖と史岐の事を一瞬でも考えられなかった日が2日続いたというだけでもわたしにとっては未知の恐怖でした。なので、回復した後、書斎に戻ってイヤホンをつけて、Apple Musicのステーションで最初にRADWIMPSさんの「カナタハルカ」が流れてきて、それを聴いているうちにふっと、2人が動き、笑い、一緒にいる光景が頭の中に浮かんできた時、良かった、戻ってきてくれた、と心の底から安堵して、本当に嬉しくて、途中からは涙を拭きながら聴いていました。
 体調は限りなく水平に近い右肩上がりで回復しているため、いきなりエンジン全開にしないように、サトネさんとの作業通話はまだ繋がず、ゴールデンカムイを読み直したり音楽を聴いたりプロットの続きを書いたり、ゆる~い感じで過ごしています。
 とんでもない長さの週報になってしまいました。「書けなくなったらどうしよう」の不安真っ只中で書いた文章を使っている箇所もあるため見苦しい所があれば申し訳ありません。
 まじでこんなのわたしの周りの誰にも罹らせたくないわよ……、の思いなので、上に書いた事以外でも、体験者に聞きたい事などあればメールやSNSなどでお気軽にお尋ねください。元気な時にお返事させて頂きます。