社に上がると、中は四畳半ほどの広さの和室になっていた。
 中央に置かれた碁盤を挟んで座布団が二つ向かい合っている。右手前と左奥にも同じ座布団が一枚ずつ敷かれており、利玖は、おそらくそちらが従者の席なのだろうと推測した。
 扉が設けられていない社には、利玖達が入ってきたのとは反対側にもう一つ出入り口がある。そちらにはくるぶしほどの高さまで梔子くちなし色の暖簾が下ろされて、外の様子が見えないようになっていた。
 鶴真にすすめられて座布団に座った後、じっくりと内装を観察する。
 意外にも、祭壇や呪文の札のような、何かに対する信仰を伺わせるような物は一つもない。代わりに目に入ってくるのは、動植物や、有名な歴史的建造物をかたどった置物、色とりどりの刺繍糸でどこかの海辺の風景を縫い取ったペナント、ばらばらの時刻を指す置き時計、などなど。見覚えのない物ばかりなのに、それらがひしめき合う社の中は、奇妙な懐かしさに満ちている。
「珍妙な所で、驚かれたでしょう」
 鶴真に話しかけられて、利玖はぶるぶると首を振った。本当は、
(和製の『驚異の部屋ヴンダー・カンマー』みたいだ)
と思っていても、それをありのまま口にするほど怖い物知らずではない。
「わたしは何の変化も感じ取れないのですが、ここは、もう結界の中なのですか?」
 代わりに、エレベータを降りてからずっと気になっていた事を訊ねた。
「はい。エレベータを出た時点で、結界の庇護下に入っています。
 結界といっても、ケースのような物で〈宵戸よいのとの木〉を丸ごと覆っているわけではないのです。気体に似た不可視の力……、我々は便宜上『れい』と呼びますが、それを〈宵戸よいのとの木〉の表面に充満させて虫を寄せ付けないようにしています」
 そこまで聞いて、利玖はもう一つの疑問を思い出し、あ、と呟いた。
「そういえば、〈宵戸よいのとの木〉はどこにあるのですか? これほどまでに辺りが暗くては、何がどこにあるやら、まったくわからずじまいで」
「ああ、それは……」
 鶴真が答えようとした時、奥の方から床板を踏む足音がしたので、二人は慌てて正面に向かって居ずまいを正した。
 岩のようなたくましい手が暖簾をかき分ける。その向こうの闇から、すべり出るように二つの人影が現れた。
 片方は、いぬの面をつけた大男。ただでさえ鶴真の三倍はあろうかというたいを、夜叉のようにのさばった髪がさらに大きく見せている。白の足袋たびを履き、ぎんねずの袴の上には蘇芳すおう色の羽織を着込んでいた。
 その前を、痩せた老人が一人、ゆっくりと杖をつきながら歩いてくる。
 美しい白の着流し姿で、顔には能楽で用いられるような翁の面をつけていた。狗面の男のような威圧感は微塵もない。代わりに、朝霧の中、あるかなしかの風に揺れるヤナギのような、優しい静けさをたたえている。
「久しゅうございます、オカバ様」老人の姿を見て、鶴真が板張りに両手をついた。「たびもお招き頂き、恐悦至極に存じます」
 鶴真に続いて、利玖も見よう見まねで拝礼を行う。何を喋っていいかわからないので、声は出さないでおいた。
 老人──オカバ様は、片手を広げてそれを受け取りながら、狗面の男に杖を預け、鶴真の向かいの席についた。
 そして、着流しの襟を指で整えてから、体の前で両手を広げてひらひらと左右に振った。

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