「──った」
 鶴真の体当たりを食らった女は、たたらを踏んで飛びすさった。
 鶴真との体格差からして、どう考えてもそれだけでは済まないだろうに、体術の心得でもあるのか、上手く衝撃を逃がしたらしい。
「私の、後ろへ……」
 そう促して、利玖をかばおうとする鶴真の唇には、まるで色がなかった。
 盛んに瞬きをしているが、目の焦点もぼんやりとして定まっていない。まだ、完全に薬が抜けていないのだ。
 それでも、女と向かい合うと、鶴真はわずかに腰を落として戦う構えを見せた。前方に出ている右手には、狗面の従者が使っていた小刀がリバース・グリップで握られている。
「うわ。物騒」
 女はそう呟くと、無造作に腰の後ろへ手を回した。──その瞬間、獣が全身の毛を逆立てるような咆哮とともに、鶴真が前へ飛び出した。

 その切迫した動きの意味を利玖が理解したのは、一発目の発砲音が響いた後だった。
 驚いている間に、二発目が。
 今度は、ペンライトを取ろうと伸ばしていた左手から、そう離れていない床板がのみで打たれたように弾けるのが見えた。

 鶴真は猛然と追撃し、それ以上の発砲を許さなかった。
 口にした酒の量を考えれば、立っているのもやっとの状態だろうに、逆手に構えた小刀をコンバット・ナイフのように振るってじりじりと女を社の隅に追いつめていく。
 社には壁がない。高さ七十センチメートルほどの桟に囲われているだけで、それより上はじかに外と繋がっている。桟の手前でうまく体勢を崩せば、向こう側に女を突き落とせるかもしれない。
 利玖が、そこに思い至ったのとほぼ同時に、キンッと一際高い音がして女が膝を着いた。
「やるねえ」血がしたたり落ちている右腕を押さえながら、女は鶴真を振り仰ぐ。息があがっているように見えた。「どこかの軍隊あがり?」
 鶴真は、その問いには答えずに、小刀の切っ先を女に据えたまま慎重に間合いを詰めた。そして、床に落ちた拳銃を足で自分の方へ引き寄せると、
「去れ」
と命じた。
 女は肩をすくめた。
「こっちだって、仕事じゃなきゃこんな所、一秒だって長居したくないね」
「何が狙いだ」
「一つしかないでしょ、そんなの」
 鶴真の双眸が細くなった。
「……誰の差し金でここまで来た」
「あれ、気づいてない?」女が首をかしげる。「今回の儀式、前回から変わっている事が一つだけあるよね。去年までいたのに、いなくなった人。逆に、去年まではいなかったのに、今年から新しく加わった人」
 鶴真が、かすかに眉をひそめ、直後、はじかれたように利玖を振り返った。──女は、その一瞬の隙を待っていた。
 傷が痛む素振りが演技だったかのようにするりと体勢を整え、利玖が警告する間もなく、ひらめくような速さで鶴真の側頭部に回し蹴りを放った。
「ほい、ワンキル」
 昏倒した鶴真の手から小刀を抜き取りながら、女は悠々と拳銃を拾い上げて利玖に向けた。
「悪いね。これで、目を覚ました彼が真っ先に疑うのは君ってわけだ」
「この、っ……」
 利玖は、悪態をつきながら桟づたいに立ち上がったが、冷徹な意思を秘めて自分に向けられている銃口を見た途端、一歩たりとも動けなくなった。
 女の方も、武器も持たず、妖を使役しているわけでもない利玖に出来る事などたかが知れていると思ったのだろう。照準を修正しただけで逃げ道を塞ごうともしない。
(──何か)
 この状況を変え得る術を、自分は本当に持っていないのか。
 神とヒトの間に生まれた親愛を大切に守り続けてきた儀式を、一方的に、暴力でねじ曲げようとする者を前に、怯え、すくんでいるしかないのか。

 思い出せ。
 自分が、何の為にこの場に呼ばれたのかを。

 ペンライトを握っている指の震えが止まった、その時、社の外から伸びてきたほの白い手が、包み込むように利玖の手に触れた。

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